自己紹介

Japan
仕事:心カテ屋。2008年6月から、CAへ渡米、2011年5月帰国。 プライベートでの興味:FX、車、洋服、旅行、音楽、サーフィン、ギター、総合格闘技観戦など。

2010年10月29日金曜日

IRSから追徴課税請求

今日、何気にポストを除くとIRS(Internal Revenue Service: 国税庁)から封書。
嫌な予感したんですよね~。
恐る恐る開けてみると、やはり今年度の納税額の追徴課税請求+遅延ペナルティの知らせでした。
去年は微額だけど還付があったんですが、今年度は通年有給だったので、課税率アップで追徴。
ただ自分のNR1040計算にやや自信がなかったので、申告時に既に不足分が発覚してたんですが、向こうから何か言ってくるまで放置してました(コラw)
やっぱり追徴だったのか、こんな時はしっかり自分の計算が合ってるんだな、とガックシ。
こんな薄給の人間から追徴しなくてもなぁ、と思いながら遅延ペナルティ分も含め約800ドルcheckで今日早速IRSに送りました。
こんな経済的な出入りの激しいときに・・・泣きっ面に蜂とはこの事です。
昔、私たちの間では、泣きっ面にカニ、と良く言っていました(笑)
あ~あ。

4/22/2011 追記
今から考えるとこれは明らかにおかしいですね。
J1 VISAのカレンダーイヤー2年目なので、連邦税は明らかに免税になりそうです。
書類に間違ったことを書いてしまったが最後、それが正しいか否かは関係なし。
いかにもアメリカ的な感じがします。
いずれにせよ、800ドルは結構痛いですな。

2010年10月28日木曜日

それからそれから・・・?

月曜日の夕方、ランから帰ってくると、携帯に留守電が入っていました。
気がついたのが、すでに夜中だったので、翌日火曜日の朝イチ保険会社に電話。
内容的には、

1. 事故車は予想通り廃車処分になる事
2. 代償として、約3000ドルを私が受け取ること
の2点でした。

これに同意するか聞かれ、同意する以外に案も無く、額も予想以上だったので、同意しました。
一両日中にドキュメントが送られるので、サインして送り返す様に言われました。
借りているレンタカーは5日以内に返却する様に指示されました。

さて、となればクルマの購入をある程度進めなければなりません。
迷ったのですが、あの青カブリオを購入する事にしました。
オーナーのJohnに連絡を取り、値段交渉。気になる点も多かったですからね。
最終的に2700 ドルで合意しました。
その日の午後にはJohnがオーナーシップを委譲し、鍵の受け渡しとなりました。
早い!予想以上の進行振りです。
と、ここまでが昨日の進捗具合です。

今日はDMVに新規オーナーシップの届出、レンタカーの返却、などやる事が盛り沢山でした。
で、肝心の車なんですが、やっぱり色々とボロが出ますわ。


まずなんと言っても、ミッションの異音。これは思ったよりも酷い。
安全性に関わる事だからねぇ。これは少し早めに一回見てもらった方が良いかもなー。
次に、室内が汚い。これも思った以上。私の事を知る人なら分かると思うんだけど、わたしは全然綺麗好きじゃ無いんですが、そんな私ですら、汚いと思うくらい。ちょっと来てます。
と言うわけで、今日は夕方大クリーニング大会をしました。


こうやって見ると20万円強の車にしてはよく見えるんだけどね・・。

頑張って掃除した後が下のような感じです。掃除前を撮るの忘れましたもん。比較できませんよね。
これでも結構綺麗になったんですけどね。この程度の掃除でこれくらい変わるのになんで人に売る前に少しは掃除しないのかな~?と疑問に思いました。
友達のT君が私に「そう言うヤツは車の管理もいいかげんですからね、気を付けた方が良いですよ」
確かに。今年のregistrationも支払ってないし(それは事前に確認済み)



このシフトノブの辺りとか、本当に汚かったのよね。凄いホコリでした。

事故後約2週間。少しずつで良いので、もとの生活に戻ってくれると良いのですが。

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2010年10月25日月曜日

代替え車両を考えないとね・・

色んなところで、レンタルカーを持っているうちに代替え車両を探し始めた方が良い、と言うことを言われるので、買う買わないは別にして目星を付けておくのは悪いことではないだろう、と考え早速色々と調べ始めました。
こんな状況で突然始まった車探しですが、どんな状況でも車を買う時って言うのはホント楽しいですね。まさに不幸中の幸い。で、何にしようか、と考える必要もないくらい、車種は心の中で決まっていました。

と言うのも、渡米前から、カリフォルニアに渡米したら、車はコンバーチブルにしたいと思っていました。
渡米後、自分の選択が出来ずに車が決定した経緯もあって、その想いもいつの間にか風化していました。
と言うわけで、今回は「自分の乗りたい車を許される範囲で乗ろう」と考えました。
すぐに思いついたのが、Golfのcabrio。意外に玉も多く、相場もこなれてるのでは?と思い、早速craigslistをチェックすると、結構な数が出ています。
以前クラシックライン、Ⅲと三台にわたって所有していたこともあって、車の素性が解っているのも利点です。本当はクラシックラインの顔が可愛くて好きなんですけどね。カリフォルニアにも凄いマッチするし。たださすがにリスト上は見かけません。

もし私の車が廃車になったとして、償還される額はどの程度かな?とKelly Blue Bookを見るとFair conditionでせいぜい1000ドル程度のようです。残りの在米期間を考えても、予算はせいぜい3000ドルというところかな?という感じです。
その中でめぼしい玉に当たりを入れて、週末早速下見に行ってきました。

1つめは1995年式(だったかな?)のCabrioでマイレージが12万マイル、値段が2500ドル。メールでやり取りをすると割と近所だったので、メールやり取り開始翌日に早速行ってきました。


待ち合わせ場所に現れたのは30前くらいの好青年。早速車を見せて貰いました。
一目見たときはかなり好印象。もちろん2500ドルですから、当然のヤレ感はあるんですが、年式の割にはムチャ綺麗。色もイイ色。

 2オーナー物で、元々は白だったのを前オーナーがこの色に塗り替えたようです。クラックが入って元の塗装色が出ています。まぁ、こういうコスメティックなことは気にしません。



この車がとにかく驚いたのは内装が綺麗だったこと。アメリカの中古って概ね内装が汚いんですけど、これは綺麗でしたね。皮シートもヤレ感があんまり無い。

幌の裂け目。これはちょっと気になりました。これが大きくなってくると確実に雨漏りしますからね。ソフトトップの交換はかなり高いです。今から雨期になるので、特に、ね。

早速試乗をさせて貰うと、どうかな~、という感じ。段差を越えたりするときのステアリングの振動が強くて、なんなんでしょう?アライメントが悪いのかな?確かにパワステなんだけど、このくらいの年式の車のステアリングってこんな重かったっけ?という感じ。まぁ、慣れてくればこんなもんかもしれないですけどね。でも、高速とか走ったらちょっと怖いかも。

その後、交渉してるうちに2500→2400ドルまで値下げをしてくれることに。日本円で今のレートだと20万以下ですか。結構お買い得だな。でもまだすぐには買えない旨、説明。状況がはっきり次第すぐ連絡する旨伝えて、別れたのですが、さっきメールが来て別の人が買ったそうです。うん、そうだろうな、これ19万だったらお買い得ですよ。

2つめは1997年式のカブリオ、距離が15万マイル。2900ドル。ちょっと離れたMountain view。
オーナーはフランスから仕事で来ている同世代の男性でした。




ブルー。イイ色です。小さなデントはありますけど、ボディ自体は概して綺麗。こういうコスメ上の問題は気にしないことは一緒で。



おっと~!!出た~。テッチンホイール。道理で掲載写真も右側からしかなかった訳ね。左側は前後共にこのホイールでした。これはさすがにちょっとかっこ悪いな・・・でも変えるとそれなりに出費する所ですからね・・。





内装はちょっと汚い。多分オープンで結構放置してるんでしょうな。いや15年くらい前の車だったらこんな物だと思います。そう言う意味では前の車が綺麗すぎ。ミッションはマニュアルでした。走りが楽しい車では無いですけど、マニュアルはイイですね。早速これも試乗させて貰いました。マニュアルは約3年ぶりで、アメリカでは初、しかも当日が雨だったのでそこまでアグレッシブには運転できませんでしたが。でもやっぱりマニュアルは楽しいですね。バックにギアを入れて低速で走るときに異音がします。本人曰くこの症状で一度工場に見て貰ったそうですが、コストと修理で得られる安全性を天秤した所、体制に影響なしと言う判断で様子見してるそうです。

うーん、これが2900ドルか。日本円で約25万くらい。彼とも、今後状況が解り次第連絡を取り合う旨話し、別れました。

個人的には1台目がかなりお買い得だったのでは?と思います。売れてしまって残念。
もう少し車探し、してみます。


2010年10月22日金曜日

事故処理3 - 私物を回収し、police recordをゲットせよ!の巻

今日は、前回お話ししたように、自分の事故車内の私物を取りに、towing会社に行きました。
場所は自宅から車で10分程度の距離。
towing会社に到着し、荷物を取りに来たことを伝えると「裏手に廻れ」という指示。
車を運転して、指示通りに行くと・・・・


こんな感じの囲い込みがありました。Police impound.Keep outとあります。確かに死亡事故などの場合、重要な証拠ですから、保全する意味で大事ですよね。
このゲートの前でしばらく待っていると、Securityらしき男が近付いてきてゲートを開けてくれました。
中に入り、14番という番号が割り振られた私の車を探すと・・・・・


ありました、私の見るも無惨な姿になったアナカパ・ベントレー号(車種はトヨタ ターセルです、念のため)。こうやって明るい所で見ると改めて結構派手に行ってるなぁと言う感じです。
ただリアの窓ガラスは割れなかったんですね・・・。

車の中の荷物をレンタルカーVersa号に運び出しました。トランクはさすがに開きませんでした。後部座席のドアも開かなかったんですが、屈強なセキュリティが開けてくれました。
彼としばし立ち話。保険会社は車の価値の50%以上修理費がかかると分かると、廃車を勧めるそうです。知らなかったのですが、飛び出したエアバッグを元に戻すのに両側で約40万!程度かかるそうです。
と言うことはエアバッグ戻す時点で、アウトですね。名前はアナカパ・ベントレー号ですが、この車の市場価値が80万円以上あるとはとても思えません。
そう彼に聞くと、「早めに次の車を探し始めた方が良いゼヨ」、とのことでした。
昨日のレンタカー屋の兄ちゃんも同じ事言ってたなぁ。

アメリカでの思い出が色々と詰まったベントレー号ともしかしたらこれが最後の別れになるかもしれぬ、と思うとやや感傷的になりました。
「この車を、保険会社であるState farmにreleaseする事を頼むことを忘れずに!」と昨日の保険会社の黒人のおばちゃんに念を押されていたので、改めてもう一度保険会社の査定部に廻して貰うようにお願いし、towing会社を後にしました。

さて、次はPalo Alto警察へ行き、accident recordの請求です。自分に非がない事故なのに面倒だなと思い、保険会社で請求できないのか以前聞いたのですが、「私たちにはその権利がない」そうです。本当かどうかは知りませんが。
PaloAltoダウンタウンにほど近い警察署に行き、事故番号を伝えIDを提出ししばし待つこと数分。
いわゆる事故証明的な物が手渡されました。費用が10ドル。これもしっかり今度請求しようと思います。

collision reportと書いてあるレポートを読んで事故の詳細を改めて知りました。

・4、5台を巻き込んだ事故だと思っていたのだが、実際は私を真ん中にした計3台の事故だったこと。

・私が後ろからまずぶつけられ、その勢いで私が前の車に突っ込んだこと。

・前の車に衝突した衝撃でエアバッグが飛び出たこと。この衝撃でフロントガラスが大破していたこと
純粋に後ろから衝突されただけではエアバッグって飛び出ないですよね、何らかの前からの衝撃が加わらないと。とは言え事故の瞬間、私には後ろからぶつけられた衝撃とエアバッグに顔をぶちつけられたタイミングに全く差が感じられず、あの勢いで前に押し出されたのかと思うと、今思い出してもちょっとゾッとします。

私にぶつけた運転手の所には「He looked away, and didn't notice the traffic stopped ahead」とありました。完全なよそ見運転だったことが記載されていて、少なからず私に非がないことはレポート上も明らかなようで、少しホッとしました。
オフィスに戻り、このレポートを早速保険会社にFAXしました。

何人かに聞いても同じような答えが返ってくるので、明日からは早速次の車の検討に移りたいと思います。これには実は渡米前から考えていた事があります。詳しくは次回に。

2010年10月21日木曜日

事後処理2 - レンタルカーをゲットせよ!の巻

週明け月曜日から保険会社の21st century insurance(昔のAIG)へ電話していました。
contact personを割り当てられ、2 business days以内に連絡が来るとのことだったのですが、待ちの姿勢では話が進まないことは今までの経験で得た教訓だったので、翌日こちらから電話。
昨日話したことを再度延々と話し、今の一番の問題として、移動手段が無くなったことによる不便さ、を繰り返し話しました(繰り返したのは私の英語がつたないこともありますね)。
相手側の保険がState farm(21st centuryの親会社ですね)だったことも多分良い方向に働いたのだと思うのですが、折り返し電話があり、レンタルカーをゲットできることになりました。

手順としては、提携がHertzレンタカーのようで、直接店に出向き、事情を説明して事故のreference numberを伝えればいい、とのこと。この時の保険会社の黒人のおばちゃんが超良い人で感動しました(黒人のアジア人蔑視は日常生活で時折経験しますが、ホント人に因ります)。
googleで検索するとアパートから徒歩圏内にHertzレンタカーがある事を発見!電話すると営業時間内にギリ間に合いそうだったので、早速出発。

店に着き、事情を話し、オンラインで見て貰うとすでに私の名前で予約が入っている、とのことでした。サンクス!おばちゃん!!
早速車を案内され・・・・・
このMAZDA MZ-3(だっけ?)か・・・

このNISSAN VERSAか・・・・

どちらかを選んで良いと言われました。むっちゃいいやん、と喜びました。気分的に何となく明るい色が良いなと思ったのと、レンタカーなのでとにかく取り回しのいいのが良かったのでNISSAN VERSAにしました。

とりあえずレンタルカーをゲットできたのはでかいです。これで移動範囲が制約されずに済みます。
明日は今日の電話で解ったこと、警察所の事故証明と、towed awayされた事故車の荷物を取りに行きます。日米問わず、事故処理は本当にめんどくさい物です。

2010年10月19日火曜日

事後処理

皆さん、メールやコメントありがとうございます。感謝します。
今回ご近所ポスドクのT家の人々にお世話になりました、本当にありがとうございます。
「もしこのまま死んでも、多分1週間は気づかれないだろうなぁ~」などと、やや厭世的な考え方をしていましたが、もう少し期日を短縮しても良いのかな?と嬉しくなりました。
朝イチ、ラボのAlfredoが「deflock!どうしたんだ!?I'm hungry!」と電話をくれました。それも嬉しいことです。彼は本当に心から友達と思える数少ないアメリカ人の一人です。

あまりテンションを下げていてもしょうがないので、朝からキリッとは行きませんが、まずはとにかく保険会社に事故のレポートです。
まぁ、想像は出来るかと思いますが、なかなか面倒な作業です。色んな所に廻され、また慣れないシチュエーション会話で苦労しましたが、まずは終了。

今後二度と役に立つことが無いことを祈りつつ、気づいたこと
1. 事故状況の詳細をしっかり把握(1対1の事故なのか、複数台を巻き込んだ事故なのか)
2. 目撃者を含め、相手の氏名や電話番号、免許所情報などを出来る限り集めておく

と、別に日本の事故状況把握と何ら変わりありません、はい。
今回のように責任の所在がはっきりしている場合はともかく、それが微妙な場合はこういう情報が重要になるのかも知れません。

保険会社から、整理番号、コンタクトパーソン、メール通知サービスをあてがって貰いました。
2 business days以内に担当者から連絡があるそうです。良い保険であれば、きっとレンタカーを借りられたりもするんだろうけど、とにかく最底辺の保険なので、何らオプショナルサービスはありません。

今日は、他のラボからコラボレーションの相談メールが数件来ていたんだけど、全部ラボマネージャーのJenに丸投げしちゃいました。Jen、ごめん。

2010年10月18日月曜日

最悪の金曜日

最悪なことが怒りました。

金曜日の夜、仕事が終わり、いつものEl Camino Real Wayを車で走行して帰宅。
前方の信号が赤に変わり、停車。停車後、4,5秒後経ったとき・・・
とてつもなく大きな衝撃が背後から。

その瞬間、自分で何かを叫んだのは覚えているのですが、その後しばらく記憶がありません。
とにかく顔面を何かに強く打ち付けたのは覚えています。
今から考えればそれはエアバッグでした。衝撃でフロントガラスが大破していました。
転げ落ちるように車外へ。周囲に既にかなりの人だかりが出来ています。
首に痛みを感じながら周囲を見渡すと大破したBMW。


相手のBMです。意識朦朧としながら写真を撮りました。

ドライバーが平謝りしています。
「ブレーキをslam downしたんだけど、止まらなかった」とかなんとか。
私を先頭に、計車5台を巻き込んだ玉突き事故でした。


後部を中心に大破した私のベントレー。いや、ホント凄い衝撃でした。マジで。

事故現場はこんな見通しの良い大通りです。ホント何をやってたのか、と勘ぐりたくもなります。


大きな地図で見る


朦朧として路側に退避していると、すぐに警察が来ました。
そこからは事情聴取が始まり、トーイングする上で行きつけの所があるか聞かれ、この時間から
行きつけと言われても、と思い特に無い旨伝えました。
警察官には、私が完全に停止していたか、と、前の車に衝突したか、を数回聞かれました。
確実に停止していたことは間違い無かったため確信を持って返答しましたが、前の車に当たったかは余りの衝撃の強さで分かり兼ねました。
事故の衝撃から推測しても、私に怪我が無い事が、unbelievableだと言っていました。
首の痛みがあったので医療機関の受診を進められましたが、一刻も早く帰宅したかったので(帰巣本能?)辞退しました。

トーイング会社のおっちゃんが家まで送ってくれて、帰宅。車はそのまま工場にtowing awayされました。現在の段階は、週明けを待って保険会社にコンタクトを取る所です。
車が無くなってしまったこと、事故の衝撃も含めまだ完全には立ち直っていませんが、時間と共に良くなっていくことを祈ります。
T家の皆様、ヘルプ深謝いたします。

2010年10月14日木曜日

お願い【LONG-AWAITED HAPPY BABY PHOTO CONTEST】

友達のEvaの赤ちゃんがBaby Photo Contestに出ています。
もし良かったら下のリンクから20番の赤ちゃんに1票を入れてあげて下さいませ!
いえ、他に可愛いと思う赤ちゃんがいたら良いんですが、実際20番の赤ちゃんが一番可愛いように思えます・・。
宜しくお願いいたします!
あ、もし優勝しても彼女に商品など特にありませんのでご心配なく!


2010年10月13日水曜日

理性的に環境を選ぶことで、感情をコントロールしよう

最近目から鱗だった言葉です。
私の性格の短所に、感情に支配され過ぎる所があります。
好きな物はトコトンやるけど、嫌いなことは一切しない。
それだけでなく、その日の気分が乗らないと仕事やルーチンワーク(例えば身近な事で言えばランニングとか)もスキップしてみたり。
ハマると鬼のように夢中になってしまうんですが・・・。
この点って前から結構気になってて、もちろんこれで助かった部分もあるんだろうけど。

最近、チームラボの猪子寿之氏の発言を良く目にするんだけど、その中で彼がこんな事を言っていてちょっと目から鱗でした。

ちょっとわかりにくい話なんですけど、身体性を大切にしようというコンセプトがね、必然的に生まれてきたんですよね。やっぱ人間って凄い感情的な動物で、美しいとか気持ちいいとかの感情が凄い大事で。お風呂入ったら気持ち良くなるじゃないですか、絶景見ると爽快感出るじゃないですか、理性は感情に対してほとんど力が無いと思っているけれど、実は理性的に環境を選ぶことによって、感情とかテンションはコントロール出来るって事ですよ。


ごく無意識のうちにこういう行動を取っていることはあると思うんですけど、改めて聞くと、これは「そうか!」という感じでした。例えば「嫌なことがあった時は、熱い風呂にでも入ってリラックスします」と言う行動は、ある意味で言えば凄く感情に支配された行動ですが、同じ風呂に入るにしても理性的に自己分析した上で「熱い風呂」を選択することで、潜在的な意識も随分変わってくるように思うんですよね。
これを知ってから、氏が言うように気分が乗らない時に自分がリラックスできる状況を作る事はもちろん、逆に敢えてその事をやってみる(ホントは超走りたくない時に、こんな感情の時に走れれば自分を上手くコントロールできた気がしてさぞ気持ちいいぞ~)事で、理性的に気分をコントロール出来るようになった気がします。
いや、猪子さん、見た目はちゃらっとしてますが、ホント良いこと言ってますよ。

僕らをつなぐもの - 秦基博



昔のエントリーだったんだけど、上げちゃった(笑)
彼を知ったのはアメリカに来てからだったんですが、ホント良い曲書きますよね。
最近知った邦楽アーティストでは最も衝撃を受けた一人かも。
生で聞いてみたいなぁ。

2010年10月11日月曜日

N900用にマイクロSIMアダプター

を買いました。
同時に外付けバッテリーチャージャーも購入。
モチロンN900もまだ使おうとは思ってます。
今の段階では、少なくとも私の日常使いでは、iPhoneで全てが事足りるので、N900の出番は当分ありません。

エイリアンズ - キリンジ



今日のたぶんだいたい6キロ走は途中で足が痛くなっちゃって、完走できず。
タイムは42分でした。その日の調子でホントに変わりすぎで、いかにコンスタントにペースを守れるかが課題です。こりゃ、止めるモノ止めますかね。

今日の音楽はキリンジのエイリアンズ、Yさんにリクエスト貰いました~。

今から約10年前、長らく憧れていた女性を勇気を出してデートに誘いました。
柄にもなくガッチガチに固くなりまして、車内の中も今一つ会話が弾まずに重い空気。
そんな時、カーステレオからこの曲が流れてきました。
「あ、この曲私も大好きなんだよね!良いよね~!」と彼女。
そこから会話が弾み、二人の距離も一気に近づいて。
この曲を聴くと今でもその彼女のことを思い出します。
なんでしょう、彼女の雰囲気が本当にキリンジにピッタリなんですよね、上手く言えないけど。
元気にしてるのかな?とふと思ったり。

また、別のエピソードもあって、僕の親友のU君のことなんですが。
今でこそ柔術(茶帯昇級おめでとう!)のお陰でスリムになっていますが、数年前は身長182センチ、体重100キロ超の堂々たる体格でした。
そんな彼でも、この曲を車の中で聴くと「デフ、せつね~な。寂しくなっちゃうな」と、珍しくセンチになっていました。
そういう彼を滅多に見たことがなかったので、これは良い!と思い、彼が車に乗る度にこの曲を掛けていましたが、2回目からは常に爆睡して全く気づいていませんでした。
とにかく、この曲にはこんな猛獣のような男すらメランコリーにさせる何かを持っています。

キリンジはアルカディアといい、このエイリアンズといい、センス溢れる絶曲が多いですよね。
そんな中でもエイリアンズは私のマストの1曲です。

今の日本に大事な事は

いかに他者に寛容になれるか、だと思うんですよね。
その相手をそのまま真っ直ぐに認めるというか。
色々と嫌な事は沢山あるけど、その点はアメリカの方が優れてますね。
同じ上辺だけなら気持ち良い方が良いよね。

自戒の念も込めて。
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iPhoneはやっぱり良いですね。

アメリカだと最強なのでしょう。しかもお膝元。
今までN900で時間をかけてやっていた事がバカバカしくなるくらい何でもすんなりと出来てしまいます。
しかも3G接続がかなり速い。
ちょっとしたブラウジングくらいならなんらストレスが無いです。
N900の時は凄くモッサリだったんだけど。
電池の持ちもN900より良いです。

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2010年10月8日金曜日

光について - GRAPEVINE



最近連日のランで今日は筋肉痛があったので、3kmで止めといてあげました(笑)

で、いつもの音楽はGRAPEVINE。彼らも思い出深くて、この「光について」が一時大好きでまだ東京にいた頃(だから10年くらい前?かな?)赤坂ブリッツに一人でライブを見に行きました。
彼らの音楽性(当時珍しかったグルーブ感の強い横乗りロックに文学的歌詞)から結構男に人気があるのでは?と思い、余り前情報無く出かけたら何と立錐の余地無きギャル(こら!w)のみの集団!(Vo.の田中君が中性的な魅力で女性からアイドル的な人気があったんですね~)。
その中に男、ホントに私一人。

開演するやいなや押しくらまんじゅう状態になってしまい、「いや、違う!そういうつもりじゃない!」みたいなシーンの連続になってしまい(しかも明らかに私一人年齢層高いし)気まずかったのを良く覚えています。でもこの曲はホント良い曲です。
GRAPEVINEはこれ以外にもOur songやスロウなど隠れた名曲の多いバンドだと思います。

TAVIの続き

先日のエントリー、TAVIの最後に触れたデバイスラグ、ドラッグラグと日本医療のことなんですが、その筋の人でない人にも解りやすいように書くと、世の中には新しい医療機器や薬がどんどん発売されていますよね。厚生労働省(その中でも担当するのは医薬品医療機器総合機構(PMDA))の認可の関係で、日本には欧米と比して3~5年(酷い時には10年)程度遅れて入ってきます。この差を薬ならドラッグラグ、医療機器ならデバイスラグと言います。

なぜこんなに時間がかかってしまうのかというと、色々な要素があると思います。薬害事件などの歴史的な面もあったと思いますし、日本人特有の医療に対する不確実さを許せない気質(リスクを取らない)も影響してるのかもしれません。

もちろん新しいデバイスがすぐに使えるようになることは素晴らしいことですが、早期デバイス導入は現代日本社会の斜陽感に逆行しているような気がしてなりません。TAVIのように代替えが効かない画期的な治療デバイスと、新しい種類の冠動脈ステントを並列に考えるのはどうかな?と思います。正直新しい冠動脈ステントが冠動脈患者の生命予後を改善したというデータは、今のところ一つもありません。
以前のエントリーでも書きましたが、新しい医療機器が入れば入るほど高額医療になる可能性が高く、日本の保健医療財政を逼迫します。
どのデバイスを入れるべきか、という選択眼が大切な気がしています。後は、デバイスの不確実性、長期予後の不透明さ、に国民全体が寛容になれるかでしょうね。
例えば1つの不具合が生じた事例を取って捕まえて「新しい医療機器の全てがダメ」、とやってしまうと進歩は止まるどころか、後退してしまいます。日本の経済界でも同じ事が3年くらい前にありましたよね。あれをやってしまってはいけないな、とつくづく思います。





2010年10月6日水曜日

TAVI

前病院のN先生がTCT終了後、大学病院にTAVIの実際、を見学に来ました。
TAVIとはTranscatheter Aortic Valve Implantationの略です。
ご存知のように、心臓は自分で収縮、拡張を繰り返し、大動脈を通って血液を全身に送っているポンプのような臓器ですが、心臓と大動脈の間に大動脈弁、という逆流防止の弁が付いています。
実際に直視すると、どんな精密機械もまねできないほど絶妙なタイミングで開閉しており、生命の神秘を感じざるを得ません。

近年高齢化に伴い、この大動脈弁にカルシウムが沈着し、弁自身が硬化し、弁の開閉が上手くできなくなる病気が増えています。この病名を「大動脈弁狭窄症」と言います。
元来この病気の治療は、心臓手術が唯一の根治治療で、開胸下に大動脈弁を人工弁に取り替える手術が必要でした。ただし開胸手術ですから侵襲が大きく、高齢の患者さんに多い大動脈弁狭窄症の治療として選択できないことも良くありました。実際、80歳以上の高齢患者さんの大動脈弁狭窄症をどう治療するか、というのは我々循環器内科医にとっていつも議論を呼ぶ所でした。

手術適応があるのだけど高齢過ぎて、もしくは全身状態が余り良くなくて人工弁置換術に耐えることが出来ない。そんな患者さんに一筋の光明となったのがTAVIです。TAVIは開胸せずに、カテーテルを使って大動脈弁を人工弁に変える手技で、開胸しませんから身体への侵襲が少なくて済みます。現在アメリカでは実際に臨床利用されておりますが、日本では正式に保険償還はされていません。簡単に言えば特例を除いて、日本ではTAVIをまだ受けることが出来ません。

ただ、その手技の有効性から、ブレイクスルーを果たしそうになりつつあります。今、世界中のインターベンション医の注目がTAVIなどの弁疾患の治療に注がれていると言っても過言ではありません。今後日本に導入された際を見据えて、N先生も見学に来られたというわけです。

この日は、朝8時から2件のTAVIが予定されていました。私も今まで学会でのライブ放送や、S大学で直接見ても手技の一部を見ることしかできていなかったため、最初から見る良い機会でした。TAVIは導入直後は色々とトラブルも多く、私もこれは実臨床で使用できる日が来るのか?と眉唾でしたが、手技のラーニングカーブがあるのでしょうか、この日の2件は非常に手際よく進められ、結果も良いように思えました。大事なのは弁の位置決めですね、これに尽きると思います。やはり100mmHg近くある術前の圧較差が、一瞬のうちに消失するのは気持ちいいことこの上ありません。

この日の患者さんも88歳と92歳!ですから、本当にTAVIの良い適応なのです。
ただ手技は少しのミスが文字通り命取りになります。心臓外科と循環器内科、麻酔科間の良好なコラボレーションが必須です。
循環器内科単独で進めている所も多いようですが、今の段階では心臓外科のバックアップは必須ですね。冠動脈ステント術が爆発的に普及し心臓バイパス術が減ってしまった心臓外科医の最後の砦、とも言って良かった弁疾患の治療ですが今日のTAVIを見る限りかなりの症例が適応になっていくように思えます。とは言え、TAVIの対象になる患者さんは、基本外科手術が行えない患者さんがメインなので、外科の患者さんを奪っていくと言うことはそれほどない様に思えます。そういう意味で、外科の先生も頭を切り換えてTAVIに積極的に絡んでいって欲しいと思います。

日本導入のタイミングですが、一般的に日本で行われるようになるにはまだ4,5年かかるのでは、と個人的に思っています。欧米とのデバイスラグ、ドラッグラグが叫ばれる今日この頃ですが、私個人的にはデバイスラグにそれほど危機感を余り感じていなくて、もし本当に欧米並のスピードでデバイス導入を希望するのならば、まずこの保険制度をなんとかすべきです。このまま新しい医療機器がどんどん導入され、益々高額医療での出費が増えていけば、今のままでは日本の保険制度は破綻します。では、自費診療も取り入れた混合医療にすればいいかというと、混合診療分の中に保険償還をされる部分が出てきますので、結果的にこれも財政を圧迫します。では100%自費診療にすればいいのでは?という話になってしまうところです。
日本の医療制度は、良い意味で共産主義です。誰もが公平に、安価に、平均的に良い医療を受けられるのが日本の医療の素晴らしい所です。みんながアクセシブルな医療だけに、一番大事にしなければいけないことは、「死なない」ことだと思っています。。
まずは長期的安全性がある程度確約されるまで、導入を焦るべきではないと思っています。
長くなりすぎました、この辺りはまた別の機会に!

あ、とりあえずN先生も満足して帰国の途に着きました!

Pump up the jam - Technotoronic



今日のだいたい6km走は36分35秒。まだまだ遅いんだろうけど、自分の中ではこれ以上はなかなか・・。
走ってる時にたまたま流れたTechnotronicが余りに懐かしくてアップします。
流行ってたよね~、Black Boxとか。
この辺りの曲を聴くと、ホント10代後半の思い出が鬼のように溢れてきて感慨深い。
大学の部活にこの曲が大好きな先輩がいて、練習帰り葉山から都内への帰り道、第三京浜が渋滞してると、車から降ろされて路側帯でこの曲で踊らされてました(笑)
当時は楽しくも何ともなかった事も今となっては良い思い出です。

2010年10月4日月曜日

TCT 2010の旅 - NJへのエクスカージョン

K先生一行と別れ、国連総会の交通規制で物々しいManhattanを後に、NJに住むいとこ夫婦を訪問します。
Grand central stationから7番線に乗り、終点のtimes squareまで。
そこから42ndと8thの交差点まで歩いた所に、いとこのSちゃんが車で迎えに来てくれていました。
10年以上振り?の対面、本当に久しぶりでした。
車の後部座席には3歳になるRちゃんが。今日は「おじちゃんが遊びに来る」、と言うことで楽しみにしていてくれたらしいのですが、やっぱり初対面の人には人見知りしているようで、モジモジ。

その後、Sちゃん車でNJの彼女の家に向かいました。NJの閑静な住宅街に家がありました。車内ではほんと今までの昔話やらなにやらで話が盛り上がりました。なんせ最後に私があった時彼女はまだ独身で日本在住、それが今やルーマニア人の男性と結婚し、アメリカに住み、2児の母なんですから。
人生というのは本当に何が起こるのか解りません。

ただ本当に今までの道のりは波乱に満ちていたようです。「アメリカは移民の国」などと言われ、さもすると移民に開放的な国(実際日本なんかよりはずっとそうなんでしょうけど)、という印象を受けますが、彼女の感想は「移民には本当に冷たい国」となるようです。旦那さんがルーマニア出身で政府の状態が不安定だったことも関係しているかもしれません。

NJ到着後、3人で公園でお茶。Rちゃんも随分私に懐いてきてくれて、大はしゃぎです。


ルーマニア人の旦那さんは、レスリングの元ルーマニア代表でその経験を生かしアメリカでレスリングのコーチをしています。今は生徒数も200人以上に増え、ジムを新築中と言うことで、古い方のジムを案内して貰いました。ジムでも大はしゃぎのRちゃん。


このレナちゃんが本当に可愛い。ハーフの子ってなんでこんなに可愛いんでしょう。またルーマニアと日本間のハーフというのが微妙に良い配合なんだろうな、などと愚考してみたり。その後、彼女の自宅に戻り、しばし休憩。Rちゃんの体力は有り余っています。私の診察までしてくれました(笑)いや~、可愛いすぎる。




 その後、お姉さんのSちゃんを小学校まで迎えに行き、旦那さんと合流し夕ご飯を食べに行きました。旦那さんも超気さくで良い人で、話が尽きませんでした。本当は1泊したかったのですが、翌日のフライト時間が朝、早かったため、後ろ髪を引かれる思いでNJを後にしました。


とても楽しく思い出深い1日になりました。電車に乗るとやはり寂しい感じを覚えました。ペン駅から地下鉄に乗り換え、ホテルに1時間ほどで到着。
翌日の朝1のフライトでSFに戻りました。Sちゃんの渡米後の決して平坦でない道のり、彼女の意外なタフさを垣間見て驚いたと共に、人の生き方として刺激を受けました。純粋に尊敬の念を覚えました。私もまだまだ頑張らねば。

私のTCT2010はこんな形で幕引きでした。明日からまた通常の生活に戻ります。

2010年10月2日土曜日

ごめんなさい

ちょっとゴタゴタして、ブログのアドレスが定まらなくて申し訳ありません。
基本はこっちのページで行きたいのですが、ちょっと不具合もありまして。
出来る限りこっちのページで更新していきたいと思っています。
引き続きご愛顧下さい。宜しくお願い致します。

TCT2010 DCからNYへ

9/23 10時DCA発のUS airways便でLGAへ。2年ぶりのNY。
今回改めて思ったのはNYには住めないな、と言うこと。
自分の身体の中で何かが変わってしまったんだろうなぁ、あそこまでゴミゴミしている所にはもう住めない。
東京も同じ感覚。遊びに行くには良いんだけど、個人的にはもうちょいスローな所の方が良いなぁ。
こう見えても東京生まれ、人生の半分は東京で過ごしてるんですよッ!
人の感覚は不思議ですね・・。

K先生が張り切って買い物してました。BelstaffのRoadmasterの茶色をバーニーズで買って喜んでました。多分600ドルくらい?日本で買うよりは明らかに安いです。
レディスサイズのSを買っていました。タイトな方が格好いいと思うので、良かったのではないかな。


一方私の方は、Tシャツ2枚のみ、寂しい結果。
でもまぁ、良いのです。今荷物が増えるのもちょっと、な時期なので。

NYで食べた「蕎麦KOH」、ウマす・・・。これは日本で食べても旨いんじゃないかな?
こんな旨い蕎麦が食べられるのだからやっぱりNYは都会ですね。

ホテルはHelmsley Manhattan、この期間中は国連総会とバッチリ当たっちゃってて1泊400ドルという値段!2人でシェアしたのでそこまでではなかったけど、ホテルの高さもちょっと尋常じゃない気がします。

夜も遅くまでしっかり夜遊びをし、翌朝K先生と別れました。次はAHAかな?
ホント日本とアメリカと離れてるのに、毎月会ってるのが我ながら凄いです。

一人になった僕は、一路NJに住むいとこ夫婦を目指します。